芸能関係
2024.09.29
芸能事務所からの退所問題〜マネジメント契約と退所後の芸名使用について〜
芸能事務所と所属タレントとが交わしているマネジメント契約において、退所後(契約終了後)に、芸能事務所の許諾なくして芸名を使用することを禁じる定めが設けられることがあります。
マネジメント契約が終了した後において、芸能事務所側は、いわば自分の育てた芸名を移籍先等で使われたくはないと考えるでしょうし、タレント側としては、せっかく知名度が上がった芸名を変更して再スタートをさせられるのは困る、自分の使っていた芸名をこれからも使いたい、と考えるでしょう。
芸能事務所と所属タレントとの間で退所後の芸名の使用について争いになった際に、のんさん(旧芸名 能年玲奈さん)のように、紛争のマイナスイメージ等を避けて改名するケースもありますが、両者間の紛争が裁判に至ることもあります。
今回は、世間的にも話題となった裁判例をご紹介して、このような退所後の芸名の使用の問題について、解説していきたいと思います。
なお、芸能人の退所時における問題として、競業避止義務(マネジメント契約において、退所後の芸能活動を禁じる定めを置くことについての問題)についても、コラムを書いておりますので、こちらも併せてご覧いただけますと幸いです。
CONTENTS
執筆者プロフィール
弁護士法人LEON
弁護士 吉永 雅洋
生命保険会社での社内弁護士の経験をもとに、契約書のリーガルチェックをはじめ、
新規ビジネス等の法務審査、訴訟等の紛争解決等、多岐にわたる企業法務の業務に携わっております。
特に、IT関係やエンタメ関係の企業様からご依頼をいただいております。
また、事務所としてはインターネット問題に注力しており、誹謗中傷やリベンジポルノ等の問題解決にも日々尽力しております。
この記事を3行でまとめると・・・
芸名には、商業的な価値があり、パブリシティ権という法的権利が認められている
退所後の芸名の使用を禁止することが認められないケースがある
退所後の芸名の使用等を含め、マネジメント契約に関しては、芸能分野に明るい弁護士に相談するのが良い
芸名について
芸名の価値
芸名は、単なる名前という意味合いだけではなく、その名前に顧客を引きつける力があるため、商業的価値があると考えられています。
芸名が持つ顧客吸引力から生じる価値等に基づく権利を、パブリシティ権といいます(ただし、この権利自体は芸名に限るわけではありません)。
パブリシティ権とは、正確には、人の氏名、肖像等が有する顧客吸引力を排他的に利用する権利であるといわれています。
このパブリシティ権は、人格権に由来する法的な権利であるとされています(もっとも、商業的価値があるということに留意する必要があります)。
ピンク・レディー事件(最判平成24年2月2日民集66巻2号89頁)
パブリシティ権に関しては、最高裁でも言及されており、ピンク・レディー事件最高裁判決は、以下のように述べています。
「人の氏名、肖像等(以下、併せて「肖像等」という。)は、個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有すると解される。そして、肖像等は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力を排他的に利用する権利(以下「パブリシティ権」という。)は、肖像等それ自体の商業的価値に基づくものであるから、上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる。」
退所後の芸名使用(1)
加勢大周事件
当時俳優であった加勢大周さんが所属事務所から移籍する際に、所属していた事務所が芸名使用の差し止めを求めて提訴した事案です。
30年ほど前の事件ではありますが、報道もされて世間で話題になった事件です。
所属していた芸能事務所と加勢大周さんとの間のマネジメント契約には、以下のような内容が規定されていました(原告=芸能事務所、被告=加勢大周さんです)。
第1条は芸能活動の専属性に関する定め、第2条は芸名の使用を制限する定め、第5条は契約期間に関する定めです。
第1条 役務提供義務
被告は、原告の専属芸術家として、本件契約期間中、原告の指示に従って、音楽演奏会・映画・演劇・ラジオ・テレビ・テレビコマーシャル・レコード等の芸能に関する出演その他これに関連するすべての役務を提供する義務を負う。
被告は、右契約期間中、第三者のために、右役務の提供をすることができない。
第2条 芸名等の使用許諾権
原告は、被告の芸名「加勢大周」・写真・肖像・筆跡・経歴等の使用を第三者に許諾する権利を有する。
被告は、原告の許諾なしに右芸名等を第三者に使用させることはできない。
第5条 契約期間
本件契約の期間は、平成二年六月一日から平成三年五月三一日までの一年間とする。
右契約期間が満了したときは、当事者が別段の意思表示をしない限り、本件契約は自動的に更新される。ただし、当事者の一方が本件契約の更新を欲しないときは、右期間満了の三か月前までに書面によってその旨を相手方に通知しなければならない。
東京地判平成4年3月30日 判タ781号282頁(一審判決)
加勢大周さん(被告)は、新所属事務所と新たにマネジメント契約を締結しましたが、前所属事務所(原告)は、マネジメント契約が依然として存続しているものとして、芸名を使用しての出演の禁止等を求めて提訴しました。
原告の請求に対して、被告側としては、更新拒絶、契約の公序良俗違反、詐欺取消し、錯誤無効、契約解除を主張して、契約は終了している旨を主張しました。
これに対して、判決は、原告と被告との間のマネジメント契約の存続ないし有効性についての被告側の主張をいずれも排斥して、マネジメント契約は未だ存続しているものと認定しました。
これにより、原告の請求が(一部)認められ、被告は、芸名を使用して、第三者に対し、芸能に関する役務の提供をすることはできないものとされました。
東京高判平成5年6月30日 判時1467号48頁(控訴審判決)
控訴審では、一審原告の主張は排斥され、控訴が認容されました。
判決は、以下のように、マネジメント契約は終了していると判示し、被告(控訴人)の敗訴部分を取り消しました(なお、事務所側は、契約期間は10年間である等の反論をしていました)。
「平成三年八月一日、被控訴人が本件訴えを提起したこと、これに対し、控訴人が控訴人主張の書面により、本件契約が終了したことを前提にして、被控訴人の主張を一貫して否認してきたことは、弁論の全趣旨により明らかである。
そうだとすると、控訴人は、本件契約の再度の期間満了の日である平成四年五月三一日の三か月前までに、書面により、契約更新拒絶の意思を表示したものというべきであるから、本件契約は、同日をもって終了したものと認められる。」
判決について
本件では、マネジメント契約の期間が続いているのか否かが、事実関係における争点でした。
判決は、一審と控訴審とで勝訴敗訴の結論が分かれていますが、マネジメント契約の存続が認められるのか、それとも終了しているのか、この点についての判断の違いで、請求認容・棄却の結論が分かれたのです。
契約期間中なので、芸名を使用して他事務所で芸能活動をすることはできないというのが、一審の判断であり、反対に、契約は終了しているので、芸名を使用して他事務所で芸能活動をすることの可能とするのが控訴審の判断です。
契約が存続しているかどうかに議論が集中していた(契約終了後の話にならない)のは、マネジメント契約に存続条項がなかったからであるとも言えます。
契約終了後も条項の効力が存続するという存続条項が入れられていた場合には、また違った話(話に続きがある)になっていたことでしょう。
退所後の芸名使用(2)
愛内里菜事件
歌手の愛内里菜さんとマネジメント契約を締結していた所属事務所が、事務所の承諾なしに愛内里菜さんが芸名を使用して芸能活動を行っているとして、マネジメント契約違反を理由に芸名の使用禁止(差止め)を求めて提訴した事案です。
こちらの事件も、報道等もされて世間でも話題になりました。
本件には、以下の経緯がありました。
被告(=愛内里菜さん)は、平成12年3月のCDデビューにより「愛内里菜」との芸名(本件芸名)を用いた芸能活動を開始し、その後、平成22年12月31日をもって、本件芸名を用いた芸能活動を停止しました。
被告は、平成27年9月頃からは別の芸名で、芸能活動を行っていましたが、令和3年3月、本件芸名で芸能活動を行うことを公表しました。
その際に、本件芸名で芸能活動を行うことについて原告の承諾を受けていませんでした。
なお、被告は、原告(=芸能事務所)との間で、本件契約を終了させる旨の書類は作成していないものの、被告は、同日より後に、原告からいわゆる印税以外の金員の支払は受けていませんでした。
また、原告と被告との間のマネジメント契約(本件契約)には、以下のような規定がありました。
8条がパブリシティ権等の帰属についての定め、10条が芸名の使用についての定めになります。
第2条
被告は原告に対し、1999年6月1日より2004年5月31日までの間、被告のアーティストとしてのすべての活動について全世界においてマネージメントを行うことを独占的に委託し、被告は原告の専属アーティストとして原告の指示に従い、以下の活動を行う。
① コンサート、映画、演劇、テレビ、ラジオ、コマーシャル、講演、取材、その他の出演業務(注:本件契約書では、この①記載の業務を「出演業務」と呼称している。)
② レコーディング
③ 音楽著作物その他の著作物の創作
④ その他一切のアーティスト活動
第8条
被告の出演業務により発生する著作権、著作隣接権、著作権法上の報酬請求権ならびにパブリシティ権、その他すべての権利は、何らの制限なく原始的に原告に帰属する。
第10条
被告は本契約期間中はもとより契約終了後においても、原告の命名した以下の芸名および名称を原告の承諾なしに使用してはならない。
「C」※
※(注)公開されているものはCとなっていますが、実際の判決では本件芸名が記載されています。
第12条
被告または原告が、本契約の期間満了2年前までに相手方に対し、文書をもって別段の意思表示をしないときは、本契約は満了日より2年間、更新延長され、以後これを繰り返すことになる。
東京地判令和4年12月8日 判タ1510号229頁
裁判所は、以下の通り、①本件契約は終了している、②本件契約条項のパブリシティ権に係る部分は公序良俗に反して無効でありパブリシティ権はタレントに帰属する、③本件契約条項における本件契約の終了後も無期限に原告に本件芸名の使用の諾否の権限を認めている部分は、公序良俗に反し無効であり差止めに理由がないとして、芸能事務所側の請求を棄却しました。
①本件契約が終了しているか否か
本判決は、以下のように判示して、本件契約が終了しているものと判断しました。
「本件契約は、平成22年12月31日をもって、原告と被告との間で本件契約を更新しない旨又は本件契約を解約する旨の黙示の合意が成立し、これにより同日をもって終了したものと認めるのが相当である。」
被告が引退を申し出たにもかかわらず引き止めていないこと、被告の活動停止後に原告がマネジメント業務を行った形跡がないこと、被告に送った書面の記載から読み取れる原告側の認識等を踏まえて、上記の判断に至ったものです。
②本件芸名に係るパブリシティ権の帰属先等
本判決は、以下のように、8条のパブリシティ権に係る部分の定めは公序良俗に反し無効となると判示しました。
「パブリシティ権が人格的利益とは区別された財産的利益に着目して認められている権利であることからすれば、現段階で、一律に、パブリシティ権が譲渡等により第三者に帰属することを否定することは困難であるといわざるを得ない。」
「仮に、パブリシティ権の譲渡性を否定しないとしても、本件契約書8条のパブリシティ権に係る部分が、①それによって原告の利益を保護する必要性の程度、②それによってもたらされる被告の不利益の程度及び③代償措置の有無といった事情を考慮して、合理的な範囲を超えて、被告の利益を制約するものであると認められる場合には、上記部分は、社会的相当性を欠き、公序良俗に反するものとして無効になると解される。」
「本件契約書8条のパブリシティ権に係る部分は、原告による投下資本の回収という目的があることを考慮しても、適切な代償措置もなく、合理的な範囲を超えて、被告の利益を制約するものであるというべきであるから、社会的相当性を欠き、公序良俗に反するものとして無効になるというべきである。」
「本件契約書8条のパブリシティ権に係る部分(及び上述した本件移籍契約書の同趣旨の定め)が無効となる以上、本件芸名に係るパブリシティ権は、需要者が本件芸名によって想起・識別するところの被告に帰属するものと認めるのが相当である。」
③本件契約書10条の有効性
本判決は、以下の通り、代替措置もなく本件契約の終了後も無期限に原告に本件芸名の使用の諾否の権限を認めている部分は、公序良俗に反し無効であると判示しました。
「本件契約書8条のパブリシティ権に係る部分については、前記2(2)イで認定判示したとおり、無効であると認められるところ、本件芸名に係るパブリシティ権が被告に帰属し(前記2)、本件契約が既に終了しているにもかかわらず(前記1)、原告が本件契約書10条により、無期限に被告による本件芸名の使用の諾否の権限を持つというのは、本件契約書8条のパブリシティ権に係る部分の効力を実質的に認めることに他ならない。
また、本件契約の終了後も、本件契約書10条による制約を被告に課すことに対する代償措置が講じられていることを認める足りる証拠もない。
そうすると、本件契約書10条に、原告が被告の芸能人としての育成等のために投下した資本の回収機会を確保する上で必要なブランドコントロールの手段を原告に付与するという目的があるとしても、前述したとおり、そもそも、投下資本の回収は、基本的に、原告と被告との間で適切に協議した上で、合理的な契約期間を設定して、その期間内に行われるべきものであって、上記の目的が、パブリシティ権の帰属主体でない原告に、被告に対する何の代償措置もないまま、本件契約の終了後も無期限に被告による本件芸名の使用についての諾否の権限を持たせることまでを正当化するものとはならない。
したがって、本件契約書10条のうち少なくとも本件契約の終了後も無期限に原告に本件芸名の使用の諾否の権限を認めている部分は、社会的相当性を欠き、公序良俗に反するものとして、無効であるというべきである。」
判決について
本判決は、パブリシティ権が譲渡可能かどうかについて、「一律に、パブリシティ権が譲渡等により第三者に帰属することを否定することは困難ある」として、その可能性に含みを持たせました。
人格権は一身専属的な権利であり、譲渡できないとされるのが一般的です。
パブリシティ権について、一身専属的な人格権の側面を強調すれば、譲渡性がおよそ否定されることになり、本判決の考えとは異なるということになります。
譲渡性については、パブリシティ権には商業的価値がありますので、譲渡等を「一律に」否定するというのは、少し行き過ぎではないかと思います。
本判決は、「仮に、パブリシティ権の譲渡性を否定しないとしても、」とした上で、芸名に関するパブリシティ権の帰属に係る条項の公序良俗違反該当性について、①それによって原告の利益を保護する必要性の程度、②それによってもたらされる被告の不利益の程度及び③代償措置の有無という複数の考慮要素を挙げて総合判断しています。
このような判断枠組み自体は、今後も類似の事案(ただし、事実関係をよく見比べる必要があります)では参考にされることになると思います。
もっとも、本件においては、タレントによる引退意向を芸能事務所が引き止めていないこと、タレントが芸能活動停止をして以降は芸能事務所がマネジメント業務を行った形跡がないこと、平成22年12月31日以降は印税以外の支払いがないことといった事実関係が、判断全体に大きく影響しているように見えます。
本件のマネジメント契約には自動更新の条項があり、そして、契約を終了させる旨の合意書等はありませんでした。
しかしながら、上記の事情等から、マネジメント契約が終了しているとの判断となったのです。
長期に亘りマネジメント関係が実質動いていなかったにもかかわらず、活動再開を公表した途端に芸名使用の差し止めを求められたという状況だったことが大きいように思います。
もしマネジメント契約が継続していたのであれば、契約期間中の芸名の使用の話になり、契約の終了を前提とした本件とは場面が変わってきます。
実際に、本判決も、「本件契約書10条のうち少なくとも本件契約の終了後も無期限に原告に本件芸名の使用の諾否の権限を認めている部分は、社会的相当性を欠き、公序良俗に反する」と言っている通り、本件契約の終了後も無期限に縛るという点について、無効であるとの判断をしています。
例えば、無期限でない場合についてどうなるのかいった点については、本判決によっても明らかになったわけではありません。
また、判決では代替措置がなかったことについても言及されています。
代替措置があったケースではどのような代替措置があれば制限が許されるのか、という議論も出てくるでしょう。
事実関係が変われば、結論も変わる可能性がありますので、個別のケース毎の具体的事情に留意する必要があります。
なお、本判決は控訴され、その後、控訴審は和解(愛内里菜さんのXの投稿によれば、マネジメント契約の終了を確認し、「愛内里菜」の芸名で引き続き芸能活動できるという内容とのことです)で終わったようです。
退所後の芸名の使用について
芸名の権利帰属に関わるパブリシティ権の譲渡についての考え方は、裁判所の判断も必ずしも定まっているものではありません。
今回ご紹介した上記東京地判令和4年12月8日 判タ1510号229頁では、譲渡性を明確に否定しているわけではありませんでしたが、知財高判令和4年12月26日 令和4年(ネ)第10059号では、人格権に基づく権利であることを根拠に、譲渡性を否定しています。
そして、今回ご紹介した上記裁判例のように、一定の場合に契約終了後の芸名の使用禁止が否定される場合があります。
これらの裁判例も踏まえて、芸名の帰属、そして、その使用について、マネジメント契約上どのような立て付けにしておくのか、よく整理しておく必要があります。
とにかく思うように書いておけば良い、というものではなく、契約の意味や内在するリスク等もきちんと理解した上で、契約を結ぶ必要があります。
まとめ
今回、芸能事務所からの退所後の芸名の使用の問題について解説いたしました。
実際のマネジメント契約の締結の際には、芸名使用に関して上記のような問題点があることを踏まえた内容にする必要があります。
むやみに契約をするのではなく、専門家に契約書の内容を本当の意味で十分に理解した上で、その作成等を行うべきです。
お手持ちの雛形等があったとしても、改めて専門家に見てもらい、その見直しをすること等も選択肢に入れるべきところかと思います。
そして、マネジメント契約書の記載ぶりや条項の位置付け等(これは、退所後の芸名の使用の問題に限りません)に関しては、慣れている専門家によるアドバイスが一番ですので、芸能の分野に明るい弁護士にご相談された方が良いものと考えます。
また、トラブルが実際に起こってしまった場合の対処についても、同様です。
やはり、芸能案件を多く扱っている弁護士へ依頼した方がスムーズな解決が期待できるように思います。
弊所では、芸能関係の案件について数多くのご依頼をいただいており、マネジメント契約等の作成やチェック、雛形の内容の見直し等について、個別のご要望や懸念事項を踏まえた助言等を行ってまいりました。
また、トラブルに発展してしまった場合における対応の実績にも富んでおります。
これまでの経験をもとに、ご要望に即したリーガルサービスの提供に努めておりますので、是非、お気軽にご相談ください。